ダンカンは、NBAのサンアントニオ・スパーズ一筋でキャリアを終えた伝説の選手です。彼は、NBAチャンピオンに5回輝き、NBAファイナルMVPを3回、シーズンMVPを2回、オールスター選出15回、そしてルーキー・オブ・ザ・イヤーにも輝いた実績を持ちます。
ティム・ダンカンの2025年の純資産はなんと約1億3000万ドルと推定されています。
バスケットボールとの出会いとウェイクフォレスト大学時代
1976年4月25日、米領ヴァージン諸島のセント・クロイで生まれたダンカン。実は最初の夢はバスケットボール選手ではなく、オリンピックの競泳選手になることでした。姉たちが競泳で活躍していたこともあり、彼もその道を志していました。
しかし、ハリケーン・ヒューゴが島を襲い、プールが使えなくなったことで海で練習をすることに。そこでサメへの恐怖から競泳への情熱を失い、代わりにバスケットボールへと導かれました。
セント・ダンスタン・エピスコパル高校で頭角を現したダンカンは、ウェイクフォレスト大学のデイブ・オドム監督の目に留まり、同大学へ進学。ウェイクフォレストでの4年間では、1試合平均16.5得点、12.3リバウンド、3.8ブロックを記録しました。
NCAAでは、ACC年間最優秀選手賞を2回、NABC最優秀守備選手賞を3回、全米1stチームに2度選出され、全米大学年間最優秀選手賞も受賞しました。
スパーズへのドラフトとNBAでの成功
1997年のNBAドラフトでは、サンアントニオ・スパーズから全体1位指名を受け、NBA入りを果たしました。
ルーキーシーズンでは、1試合平均21.1得点、11.9リバウンド、2.7アシスト、2.5ブロックという驚異的な成績を残し、ルーキー・オブ・ザ・イヤーに選ばれました。さらに、ルーキーながらオールスターゲームにも選出されるなど、デビューから圧倒的な存在感を示しました。
翌シーズンはオールスターには選ばれませんでしたが、安定した活躍を続けました。そして1998-99シーズンには、スパーズのエースとしてチームをNBAファイナルに導き、ミネソタ・ティンバーウルブズ、ロサンゼルス・レイカーズ、ポートランド・トレイルブレイザーズを下した後、ニューヨーク・ニックスを5試合で破り、初優勝とファイナルMVPを獲得しました。
契約とスパーズへの忠誠
NBAでの地位を確立したダンカンは、2000年オフシーズンにフリーエージェントとなります。オーランド・マジックから6年6750万ドルのオファーを受けるも、最終的にはスパーズと3年3260万ドルの契約を結び、チームに残留しました。
その後、2002年と2003年にリーグMVPを連続受賞し、2003年には2度目のNBA優勝とファイナルMVPも獲得。スパーズはダンカンに7年1億2200万ドルの大型契約を提示し、彼の残留を確実なものにしました。
さらに2005年と2007年にもNBA優勝を果たし、2007年には自身3度目のファイナルMVPを受賞。その後もスパーズの中心選手として活躍し続けました。
引退後の活動と現在の純資産
ダンカンは2015-16シーズンを最後に現役を引退。NBAキャリア通算成績は、1試合平均19.0得点、10.8リバウンド、2.2ブロックを記録しました。そして2020年にはバスケットボール殿堂入りを果たしました。
引退後は、2019-20シーズンにスパーズのアシスタントコーチとして復帰し、グレッグ・ポポビッチ監督不在時にはヘッドコーチも務めました。しかし1シーズン限りでコーチ職を退きました。
またビジネス面では、2013年にブラックジャック・スピード・ショップというカスタムカーショップをテキサス州に2店舗オープンしました。加えて、ナイキやアディダスとのシューズ契約、AT&Tやブリヂストンとのスポンサー契約などを通じて、2012年には200万ドルを広告収入で得たとされています。
その後もルーキーのウェンビーを含め、若手選手のメンターとしてチームに関わる可能性が取り沙汰されています。
このようにダンカンは現役時代の収入だけでなく、引退後もビジネスとスポンサー契約を通じて資産を築き上げ、2025年の純資産は約1億3000万ドルと見積もられています。
スパーズと共に築き上げた彼のキャリアと、その後のビジネス成功は、まさにレジェンドと呼ぶにふさわしいものです。
引用元:CLUTCHPOINTS
引用画像:San Antonio Spurs Photo Galleries
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